2016年11月30日水曜日

弁当の天むすはあんまり美味しくないからやめとこう!間違いない!!

※結論から言うと、最後にとっても天むすの美味しいお店をご紹介します。




天むす

その甘美な響きに

我々は異様に期待してしまう。


天むす

食べたい。

ウマイはず。

間違いない。



そんな幻想とも言える

過剰な期待値が

天むすには込められている。



しかし、

ハッキリ言おう。


弁当、


というか作り置きの

天むす










あんまり美味しくない。



名古屋では

エビ天むすを、


広島では

タコ天むすを、


それぞれ食べたのだが、

冒頭記述した

過剰な天むすへの期待値に対して、


それ相応の

感動は

歓びは


特になかった、


いや、

むしろ

失望した。






よく考えてみよう




そもそも、

天ぷらの魅力って何だ?


ひとつは

あの衣の

サックリ感ではないか?




それが、

作り置きの天むすともなると


完全に


死んでおる。



ごはんのしっとりが、

天むすに

完全に

移っていて、

衣は

べっちょりしている。


さらにごはんも、

衣の油が移って

不快感を増す。


冷や飯 という時点で、

そのポテンシャルを

大きく低下させているところで

さらにその仕打ちである。


もそもそしたご飯、

べっしょりした天むす、

不快な油分…


そこにマリアージュ

奇跡的調和 が

あるわけ


あるかい。




ということで、

作り置き

即ち弁当

の天むすを


あこがれだけで

衝動買いするのは

やめた方がいい。



昨日、広島でそう結論づけた。







作りたての天むすは超ウマイんだよ




これである。

人が

天むすに

憧れを抱くのは

ある意味

間違いではない。


その憧れを食い物にして

作り置きの天むすを

大量に販売する
(駅弁など)

ビジネスモデルが

成立してしまったことは

嘆くべきことだが、


天むす

そのものについて

悲観的になる必要はないのだ。



つくりたての天むすは超ウマい。


サクッとしたエビ天、

ほのかに暖かさを残す塩気の効いた白ごはん、

巻き立てでパリっとした海苔


この3つこそ


マリアージュ‼
(奇跡的調和)





大阪市の

味万


というお店(うどん屋)で、


それが楽しめますよ。



弁当の天むすに

絶望しながらも、


天むすへの

憧れを

捨てきれないアナタ…



是非行ってみて下さい。



僕がそうでした。



おわり

2016年11月25日金曜日

家で作ったら普通美味しいヤツを、まずくなるように貶めて金とって提供するビジネスってなんなの

うちの嫁さんは

料理上手です。


うちのお母さんも

料理上手です。


だからタイトルのように

家で作ったら普通美味しいヤツを、まずくなるように貶めて金とって提供するビジネスってなんなの

…って、

おーちゃきいことを

思ってしまうんだろうか。


しかしやはり

そんな顧客満足意識が低いお店って

多いと思う。


安かろう悪かろうでは

今時いかんと

思うんだけどな…

高いのにクソまずいお店は

もう論外。



では

どんな料理でそんな事象が起こっていると

思っているのか。


以下にご説明しましょう。



ハンバーグ



はい、

オウチで今晩のオカズに出てきたら

めっちゃテンション上がるヤツです。


家で作ってくれたら

絶対ウマイ。

肉 じゃなくて

豆腐ハンバーグでも

相当ウマイ。


なのに

わざわざ飲食店で食べたら、

ファミレスとかなら別によいけど

1000円くらい払って

カッスカスの

ボッロボロの

旨味の無い

ハンバーグを

お目にかかることが

希にある。


シャレオツな

雰囲気だけ重視の

お店とかでかな。



なんなの。







餃子



オウチでつくると

大変おいしい

餃子ができる。


別に

普通のひき肉、

普通のニラ、ネギ、ニンニク…etc


材料はスーパーで全部そろう。

ポン酢をつけて食べるもよし、

岩塩を振って食べるもよし。



それにも関わらず

お店で注文した餃子が

特に全く

美味しくない時がある。


まずいとまではいかないが

無感動な餃子である。


これは

ラーメン屋のサイドメニューなどで

つけた餃子に対して

そう思うことがたまにあるかな。


オマケ なんだから

あるだけでも

有難く思えと、

そういうことか。




なんなの。






たこ焼き そして祭りの屋台全般



先日

嫁とたこパして

大変おいしく頂いて

結果こう思いました。


なんで

路店のたこ焼きって、

あんなにマズいんだろう…と。


仮に家で作るよりも大玉だったとしても

その分

異様に

粉っぽい。

出汁の風味など

皆無な場合が

多くある。

出汁の素を

たっぷりぶっこむだけで

幾分改善できそうにも

関わらず…だ。


ソースたっぷりつけるんだから

それでゴマかして

食べとけよ!

って、

そんな印象を

受けざるを得ない。


消費者をナメんじゃねぇ!

こんなクソまずいもんに

金とってんじゃねぇ!!

と、

何度絶叫しそうになったことか。







転じて


同様のことが


お祭りの屋台


全般に当てはまる。



たこ焼きはもちろん


焼きそばも

はし巻きも

クレープも

焼き鳥も






なぜあそこまで

美味しくないんだ。


なのになぜ

あんなに高いお金を支払ってるんだ…




(答え)祭りの雰囲気料金



文句言うなら

買うんじゃねぇ!

…と。

カウンターパンチを貰いそうである。



それはわかっている。

わかっているのに、毎回期待して買ってしまうオレも悪い…




でも家で作ったら普通に美味しいんだから、

もう少し最低限の基準を上げて欲しいと切に思う。






お祭りの屋台 って、

どうやって出店するんだろう?

構造的に

高いお金をとって

マズイものを提供する

ビジネスとしてしか

成立しないんだろうか?



屋台を出してみたいです。


おわり



2016年11月21日月曜日

たこ焼き器の画期的な使い方 思わず「アヒィイ!!」と唸るあの料理を

最近入手して

先日さんざんケチをつけていた

たこ焼き器を

使い倒しています。


たこ焼きは

もちろん

頂きました。


タコの代わりに

キムチチーズも入れたし、

コーンとソーセージも入れたし、


ホットケーキの粉使って

あんこやチョコを入れた

スイーツなんかも

頂きました。


使ってみて思ったのは

やっぱり温度調整できないのは

特にイタい…

際限なく

こんがりと

コゲついてしまう。



まあ

最低なたこ焼き器のことは

今回は置いといて


今回は

たこ焼き器の画期的な使い方を

ご紹介しましょう。







たこ焼き器を使ってとても簡単にあの料理ができる!




そう。


みんな大好き。


オシャレ料理の代名詞。



流行りのバルなんかに行こうもんなら


8割方の人々が注文していると

思われる


あの料理です。


スペイン料理?




ビールによく合う 、

ワインにはもっと合う



アヒィージョ

です。






まさかたこ焼き器で

こんなに簡単にできるとは。


調理手順


ニンニクをみじん切りしてオリーブオイルにぶっこむ



塩で味を調える



たこ焼き器が温まったら、穴に上記のニンニクオリーブオイルを投入



細かく切ったお好みのアヒィージョ素材をニンイクオリーブオイルの中に投入



十分火が通ったら出来上がり




超簡単です!


簡単に、

かつお店では食べられないくらいの

大量のアヒィージョが食べれます!!




しかもうまい!!!

お店で食べるヤツと

大差ない。






目の付け所がやらしいかもしれんが、

アヒィージョ\800くらいで提供するのって

ボロい商売やな!



…いやいや

お店ではとっても高級なオリーブオイルや

地中海産の高級岩塩や

僕らがなかなか入手し難い高級野菜やキノコや海産物を

使っているのかもしれん。


だから

あんなに少量で高いんだいやしい考えは捨てるんだぐちやまよ。




しかし


いやはや、


たこ焼き器でつくるアヒィージョ、

マジで美味しかったなぁ…



スーパーの安っいソーセージなんて

この食べ方が

いちばんうまいんじゃないかと

思いました。



終わった後に

残ったオリーブオイルを

焼いた食パンに浸して食べるのも

素晴らしい…





思わず


「アヒィイ!!」 

唸ってしまう…



ね!







ぜひお試しあれ



おわり



※注:温度調整ができないたこ焼き器だと、油が高温になりすぎて素材が揚がりすぎたり、油がパチパチはじけて手を火傷しそうになるので、ご注意下さい。

2016年11月20日日曜日

というわけで今日から手帳を使うことにした

何が

「というわけで」なのか。


僕が手帳を使わないことは

先日ご説明した通りだ。



①重い

②開かない

③字がヘタい

④ペン持ってない

⑤予定そんなない



でも一方で

なんかカッコいいから

使いこなしたいという

願望

があることも

お伝えした。




しかし本来、

手帳とは、

覚えておかなければならないことを記録するためのツールであり、

別に書かなくても仕事や生活がちゃんとできているのであれば、

あえて持つ必要はないのだ 


と、

嫁が言っていた。




では、

私は問題ないのだろうか?



いや、

ここのところ

一気に物忘れが激しくなった気がする。

特に仕事。


大事なことを、

忘れていることが

増えてきた。


野性的な防衛本能なのか、

どうしようもなくなってしまうギリギリ一歩手前くらいの状態で

ハッ!!

…と、

タスクや客のことを

思い出すことが

非常に多くなってきた。


もう忘却の彼方に行ってしまっていることも

実はあるのかもしれない。


単に

今の営業に嫌気が指してきている私の

モチベーションの問題なのかもしれないが。。。





とにかく、

私は手帳を持たなくても問題のない人間ではなかったようなので、

「覚えておかなければならないことを記録するためのツール」としての

手帳の役割を重点的に考え、

また、自分にとっての「手帳を持たない5つの理由」のことも考慮しながら、

以下のように考えて手帳を使うことにした。





1 重い←とにかく薄くて軽いヤツを


もうシステム手帳を使いこなす

イケてる風のビジネスマン目指すのは


諦めました…


そういう「カッコいい」とか

ミーハーな

やましい

実の無い理由で

手帳を使おうと考えていたのが

間違いだったんだな。


でも

嫁からもらった

ポールスミスのシステム手帳は

愛着あるしやっぱりカッコイイから

際限なく増えるカードや名刺の

ホルダーとして

使い続けることにする。






2 開かない←薄い・軽い・更に片手で持てる小さいヤツを


薄くて

軽くて

小さい手帳なら

持ち歩くのは負担にならないし、

更に片手で持てるのならば、

サッ!!

…と、

手帳を開けるはずだ。


というわけで

厚さは5mm程度、

文庫本をちょっと細長くした程度の大きさで、

ビジネス用 ではないような

「トラベラーブック」と紹介されている

手帳を購入した。





3 字がヘタい←…



それはもうどうしようもないことだ。













4 ペンを持ってない←新品のペンを購入



これまた

細くて

小さい

手帳に引っ掛けておいて気にならないようなサイズの

更に間違っても訂正できる

フリクションの

ボールペンを購入しました。


1,000円もしたから

ちゃんと持ち歩こうと

思います。



てか、

さすがにビジネスマンで営業マンなら

ペンくらい持ち歩かないとね☆ミ


ペン持ってなくて

先日普通に客先で困ったわ。






5 予定そんなない←…


とはいえ、

そんな状況でも

物忘れが発生しているワケなので、

やはり手帳を使った方がよさそうだ。



だいたい、

いわゆるビジネス手帳って、

書くスペース多すぎじゃね?


一冊に

月間予定表があって、

週間予定表もあって、

フリースペースもいっぱいあって…


いや、

私も以前は、

月間予定表で中長期の予定を俯瞰で把握しつつ、

週間予定表で短期のスケジューリングを整理・効率的な実行、

そしてフリースペースには今日気になったワードや読んだ本の格言などを記録する

…という風に

いかにも啓発本的な手帳活用を実践したかった んですけど、


こっちに書いてあっちに転記してそっちもこぅいうことを書いて… とかやってるうちに

あっちには書いてあるけどこっちには書いてないてかもうそっちには書かなくなってしまう とか

マメじゃないからすぐそうなっちゃうんだよ。


月間 か 週間 か

これはどっちかにしよう。


で、予定そんなない人が

週間予定表はツラい。


バーチカル方式(小学校の時間割みたいな表記方式)にしようもんなら

スケジュールスッカスカになるよ。


これまた昔はバーチカル方式を使いこなしてこそ優秀なビジネスマンだ 

…みたいな思い込みがあったんだけど、


この度

そんな気持ちは一切断ち切り、

シンプルな月間予定表にしました。

フリーページも5ページくらいしかありません。



モレスキン社 の、

月間予定表方式の手帳も大変シンプルでスッキリした仕上り、

非常に欲しかったのですが、

こんな僕が使うにしては

まだまだ分厚い方でフリースペースも多い…


そして

このモレスキン社 の手帳は、

僕が尊敬してやまない

前職の上司が愛用している手帳なので、

またしても僕のミーハー心がそそられていたのだが…

そのミーハー心がいかんのよ僕は。




そこは、

今回僕が手帳を買うことについての趣旨を完徹、

後ろ髪ひかれる思いでしたが、

やっぱり例のトラベラーブックの薄~い手帳を購入。


まずはこの薄~い手帳を使ってみて、

ちゃんと使いこなすことができて

それでもし万が一スペースが足りないということがあったら、

来年モレスキン社の手帳購入を検討しようかな。








…というわけで今日から手帳を使うことにした



というわけなんですよ。


最低限、

必要な時に必要なことだけを記録する、

覚えておくべきこと・振り返るべきことを効率的に確認できるツールとして

それに適した

一切ミーハー心を捨て去った

それを具現化するような

手帳を購入したのだ。






余談ですが、


自称月収300万円ビジネスオーナーの、

とあるネットワークビジネス大阪チームトップの人が

言っていました。


いちばんセルフイメージが高まるのは、自分の手帳が真っ黒になった時である と






よし…

このおれの薄~いトラベラーズブック手帳を、

その月間予定表を、

まずは真っ黒にしてやろやないかい…









って、アカン。

やっぱり買ったら買ったで、

使う前から

イケてるビジネスマン風に対するミーハー心が

湧いてきちまった。





名を捨てて実を取りなさい、ぐちやまよ。


おわり

2016年11月19日土曜日

たこ焼き機を購入する前に必ず知っておきたい4つこと

安かろう悪かろう 



それは

例えば

ファストファッションで

そつなくカッコよく着こなしているイケメンなど、

何事についても

自分よりあきらかにお金をかけていないのに

自分より良い状態

に仕上げている人達に向かって

揶揄する言葉である。


消費者が成長し、

消費することに慣れ

その欲求は留まることを知らず

「(お客様=私は)神様ですが何か?」と、

すっかりワガママになってしまった現代において

安くて良い

というのは当たり前、

商売繁盛の原理原則のようなものに

なりつつある。





しかし、

こと「たこ焼き器」に限って言えば

この安かろう悪かろうという


逸話は


実在する!! 




たこ焼き器 選びに失敗すると


大変痛い目に合う。


そのことを先日体感した・・・

以下のことに注意しましょう。








1 結婚式のカタログギフトのたこ焼き器だけはやめておけ



ここがまず、

議論の出発点だ。


我々は

カタログギフトで

たこ焼き器を入手してしまった…


そして

考え得る

最悪の

たこ焼き器が届いた。


いや、

人の結婚式の引き出物で

もらったものにケチつけるなよ と

言われてしまいそうだが、


それは確かにそうだが、


そもそも

カタログギフトの存在自体が

僕は許せない感じある。

この話はまたいずれ…


たこ焼き器の話にもどそう。

たぶん

世の中のほとんどのカタログギフトに

掲載されているたこ焼き器は

我々が持ってるヤツと同じだろうから、

それを選ぶのは

止めた方がよいです。






2 一体型で鉄板取り外し不可



度胆を抜かれた。

その発想はなかったので、

最初箱から出したとき、

なんとか鉄板を無理やり引きはがそうとして

ぶっ壊すとこだった。


完全なる一体型、

鉄板も熱を暖める機械もコードも

全て一体である。


何のメリットがあって、

こんなことをするのだろうか…


鉄板を取り外して洗えないとか、

油使うのにキッツイではないか。


一体型で安いのはわかるが、

そもそも

こんな商品が世の中に流通していていいのか…。





3 スイッチはON/OFFのみで温度調整不可



これもキツイ。

鉄板の温度は常に「強」状態、

食材ははやく食べないと

どんどんコゲていくであろう。

保温することなど

できないのだ。


いちいち

スイッチ入れたり切ったりするの

メンドくさいよ…




また、実は、

我々ははじめてのたこ焼き器で、

はじめてやってみた料理は

たこ焼き ではなく

アヒージョ だったのだが、

温度調整ができないため、

油がハネるハネる。

温度上がりすぎて、

時々爆発するのだ。





4 鉄板に変なロゴが刻まれていてクソ邪魔い



そもそも取り外して洗えないクソ仕様なのに、

鉄板に変なロゴが刻まれているため、

そこが重点的に

汚くなる。


拭き掃除も

大変し辛い。

ロゴによって生まれた溝に

汚れがこびりついている。


しかし、

そのたこ焼き器で調理をする以上、

そのロゴの部分は

避けて通れないのだ。



掃除も十分にできない一体型なのだから、

多分そのロゴの部分から

腐っていくことが

容易に予想できる。










…というわけで

 

こと

たこ焼き器 に関して言えば

間違いなく

安かろう悪かろう


実在する!!






皆さん、気を付けて。



おわり

 

2016年11月15日火曜日

僕が手帳を使わないたった5つの理由

ぐちやまは


手帳を使わない。





本日はそのたった5つの理由を

ご紹介する。

















1 手帳が重い


僕のカバンは

ただでさえ重い

革製品のトートバック。


そんなところに

仮にシステム手帳なんぞ

入れてみたとしよう。


すんごい重くなる。

肩が外れそうだ…




2 手帳を開くのがメンドくさい



「手帳が重い」のハードルを

何とか超えて、

常日頃手帳を持ち歩くとする。


…しかし、

手帳を開くのがメンドくさい。


書こうとするにも

見ようとするにも


手帳をカバンから取り出して

「開く」行為が

メンドくさい。



3 字がおそろしくヘタい



しかしそれでも、

優秀なビジネスマン風を目指して、

「今日から手帳を活用しよう!」と

一念発起したことは過去に

百回ほどある。


ことあるごとに

手帳を取り出し

手帳を開き、

筆を走らせる。

そして気づく。



…吐き気がするほど

字がヘタイ。

一言一句もらすまいと

一生懸命メモをしても、

後で見返すと

百言中八十句くらい、

なんて書いてあるかが

自分でも分からない。



さすが過去に

「字がヘタい」を理由に

居酒屋のバイトを

クビになっただけある。



こと私に関しては、

話を聞きながらメモを取ることと

丁寧に書くことは

完全なトレード・オフとして

脳にインプットされ、

身体が覚えている。





4 字がヘタな自分に失望して遂にはペンを持ち歩くことさえやめてしまった



スマホもあるし

パソコンもあるからと、

それで記録できるからと、

ついにペンを持ち歩く事さえ

止めてしまった。



当然、



手帳は





使えない。






というか

重いから

筆箱と一緒に

おうちに

置いてきた。








5 そういえば、それほど予定もない



そういえば、

手帳に書くほどの

予定もない。


仕事のタスクは

PC上で管理されている。


プライベートは

だいたい

嫁と

ユル~く

遊んでいる。



あれ、

手帳書くことにしたけど

スカスカ だぁ…



みたいなことに

なりかねない。








…ホントは手帳を使いたい



そう。

ホントは手帳を使いたい。



センスよく

スタイリッシュな

間取りで

丁寧な字で

赤とか青とか

クロミアムオキサイドグリーンブリリアントとか

洒落た色を使いこなして

チラ見してきた隣人を魅了しつつ

一方で「こいつはデキるヤツだ」と

手帳で威嚇し、

しかし時にはプリクラなども添付し

かわいげを演出するような

そんな風に

手帳を使いこなしたい。





そうかっ!!



手帳を使う、

使いこなそうと

努力することこそが、


先に述べた5つの

私のダメなところを改善し

私を人間として飛躍させる

方法なんだっ!!!


















…と、

一念発起して、



再び上記5つの理由で


手帳を使わなくなる




のである。






おわり

2016年11月12日土曜日

無理やりキャラづくりをしてみても結局うまくいかない

本来僕は

自由な男

だったと思う。

小学生の頃くらいまでは。



自由な発想

自由な動き

自由なポーズ

自由な発言





特に動きとポーズには定評があり、

小学生のころは


毎年欠かさず大怪我をしていたほどだ。



そしてウチのおかんヌは、

「あの頃のアンタがいちばん輝いてたよ」


というほどだ。


但し、

これは親のひいき目である。



社会的に見れば、

社会性に欠けた

自己主張の強い

ウザい

子どもだったかもしれない。






しかし今はどうだ?

…ワリと普通だ。

普通に

社会人を

こなしている

29歳男子である。




これは成長か?


けれども、

圧倒的に面白かったのは

前者の頃だったと、

思うのである。






色気づき、羞恥心が自分に蓋をしだした中~高時代




中~高時代、

この頃から

自分がうまく表現できなくなっていったような気がする。


いや、

うまく表現できない

ではなく


自分の中の少年を

恥ずかしい

と思うようになり

少年を

心のある部屋に

閉じ込めたのだ。



しかし、

本来の自我たる

自分の中の少年は

モンスターレベルで

我が強く、

閉じ込めていても

あふれるその

野生のエナジーは

色気づいた表面上の自分と

反発し合い

バランスを欠き、


結果、

「キモイ」と

時々言われるようになった。


また、

いつの間にか

「ホモキャラ」の

ポジションも獲得していた。



そういえば、

小学生のころの僕は

確かにジェンダーさえも

超越しようとしていた。

そのケが、

完全に

身振りになって表れていた。




色気づいた僕が

最初に実践した

イケメンキャラづくり の

失敗である。



最大限の賛辞が


「カッコはいい」



だった…








イケメンになりたくてもなれない僕が生み出してしまったあんこくの仙人キャラ




しかし、

それでもなお

僕のイケメンキャラへの

渇望は続く。


次は大学だ と

言わんばかりに

見知らぬ土地に

期待を抱いていた。




しかしここでも、

僕はバランスを欠く。



ここで

はっきり言おう。



僕の心は

本質的に

イケメンではないのだ。


どんなに見てくれを強化しようと、

イケメンを装おうと、

イケメン風のことを言おうとしても

バランスを欠く。



…もういっそのこと、

出してしまえばよかったのだ。

僕の中の

当時いちばん輝いていたと

母親に言わしめた

少年を。



しかしそれを恐れた僕は、

また更に

少年をより厳しく

閉じ込めることに

ベクトルが向く。





その結果、

生まれたのが

悲しき

あんこくの


仙人キャラ である。





(当時の僕)

もう大学のチャラいノリにはうんざりだ。

大人のイケメンとして

2歩3歩先に到達したオレは

一人で哲学やことわざでも

学習して、

なんかあった時に

気の利いたことを言って、

その洗練された

仙人イケメンぶりを

発揮してやるぜ!
 



こんな感じで、

自らを仙人と称し、

引きこもりだした

新天地での1~2年間は





当然




あまり友達がいなかった。









ほんとは


すんんんんんんげんぇえええ、



遊びたかった。

サークルとか、

入りたかった……









かくて生まれた

仙人キャラ であったが、

その時学んだ

哲学やことわざが

今活かされているかというと

ほぼ皆無である。


ことわざ なんかもう忘れてしまった。






灯台下暗し しか

ぱっと思い出せない。






僕の心は

本質的には

人と接することを

望んでいる。


人に

笑われたり、

喜ばれたりするのが

大好きな

少年 なのだ。






その本質を無視して

無理やりキャラづくりをしてみても

結局うまくいかないと

いうことだ。









全くこんなことになるなんて…


灯台下暗し だった。






おわり

2016年11月10日木曜日

「もうすぐ30ちゃい、ぽよよ~~~」 それが最近見た映画の感想だった

一昨日前、

『マイ・インターン』

という映画を見た。


ロバート・デ・ニーロさん

主演。


率直に言って

素晴らしい 映画だった。

是非オススメしたい。




年の功 という言葉が

どういうことか。


正しい時に

正しい行動を。


正しく

とは、

個人の主観であるが、


正しく年を取ろう


年を重ねて、より人に気を配れる存在になろう

年を重ねて、より人に好かれる存在になろう

年を重ねて、より人を立てれる存在になろう

年を重ねて、より美意識高くいこう

年を重ねて、よりいっそうチャレンジしよう

年を重ねて、より人に頼られる存在になろう


そんな

最近特に

男子力を高めようとしていた

29歳にはうってつけの

映画だった。


あんな大人に

おじいちゃんに

なりたいね。



そして

ほどなくして

発した言葉が


「もうすぐ30ちゃい、ぽよよ~~~」


だったのだ。


隣で嫁が

困惑していた。


自分自身でも何だかよくわからない。




―――空を舞う星を生み出すには、あなたの魂の混沌を必要とする―――

 by ニーチェ






そしてそのまま

その調子で

話題の新海誠さんの


『言の葉の庭』を


閲覧した。



圧巻の映像美。

作中の7~8割が雨。

雨の中で

織り成される物語。


雨 に対する

心持ちが、

見ていて変わりそうな、


雨の日は楽しい

雨の日が待ち遠しい

雨がふって嬉しい

雨がふればこそ


とにかく雨だらけだった。




夢見る15歳学校をさぼって公園で作業をする男の子

働く27歳チョコレートつまみに仕事をさぼってビールを飲む女性


boy meets girl 的な。

オープニングの謎めいた短歌は、

その意味と返歌を知った時、

チョット震えた。




しかし思いのほか、

自分の15歳の時が笑えるほど

男の子は大人びていて、

夢を見据えて

迷いながらも

行動していた。


しかし思いのほか、

自分の27歳の時が心配になるほど

女性は大人びていて

ミステリアスで

安定の情緒不安定だった。



こんな2人の boy meets girl …


もうニヤニヤせずにはいられない 


そんな感じで楽しんでいくのかなと思いきや


終盤の

ドラマチックな

お互いの

感情爆発と

その演出が


ふり幅大きすぎて、

とても印象的な。




1時間程度ながらも

大変見ごたえのある映画だった。


見終わった後


再び

「もうすぐ30ちゃい、ぽよよ~~~」


とは



言わなかった。




この違いに

この混沌に



何かヒントがあるはずだと




感じたのは僕だけでしょうか?



おわり



~追記~


この後

もういっかい

『言の葉の庭』を見て、

最後のシーンで、

15歳の男の子が素晴らしすぎて、

15歳らしい大人に対するまっすぐな意見をぶつけるのが、

逆にとても15歳には見えなくて、

立派すぎて、

言ってしまった。


「もももm、もおうすぐ30cycyちゃい、ぼよyo~~~~~」


そしたら今度は

嫁も

 「ににに、2倍生きてる、ぽよよ~~~~」

と、

二人して、

壊れてしまった。

―――空を舞う星を生み出すには、あなたの魂の混沌を必要とする―――

 by ニーチェ



これから

すごいものが

生まれそうだ。




おわり。

2016年11月9日水曜日

まわってきた運をモノにするには能力がいる

昨日の記事で、

実績がつくるのは





であると

言ったところではあるが…


いやまず、

その基本姿勢に

疑問はない 

ということは、

しっかりお伝えしたい。

営業で言えば

案件が生まれるその入口は、

やはり





の要素が大きいことに

違いないはずだ。



しかしその





があっても、


能力


が不足していれば、


それをモノにできないということを、

これまた身を以て、

前職の営業で、

嫌というほど思い知らされた。



前職の営業は、



を頼りにするだけでは、

通用しなかったのだ。






運をたぐりよせてから問われる、自身の本当の実力



営業と

一口にいっても、

当然

全部同じではない。


大学時代に経験した営業と、

社会人となって最初に勤めた会社の営業は、

対極と言ってよい程ほど、

性質の異なるもどだった。




当日の短期決戦 か、

数年を要する中長期決戦 か、




個人あるいは世帯への営業 か、

組織への営業 か、




数万円単位の営業 か

数百万~数千万、数億円の営業 か。




営業は成約後の業務には関わらない か

成約後もパートナーとしてお客様と会社の仲立ちとなる か





後者で挙げたいずれのことも、

商談をまとめるのに、

相当なエナジーを要する。



運をたぐりよせてからの

「それから」には、

それに見合う

根性

胆力

突破力

調整力

観察力

分析力

交渉力

折衝力




総じて、


能力


が必要だった。






 …このことに気づいたのは、

転職して

数年たってからだった。


大学時代の営業経験のおかげで

説明やプレゼンといった、

パフォーマンス的なことは

人より上手だったかもしれない。



だから別に

前職で何の実績も残せなかった

わけではないが、

それこそ



の成せるワザだっただけで、


よりいっそうその仕事に合った


能力


があれば、

もっとモノにできた

チャンスはあったと、

今では心底思うのだ。


成果 がでても、

それがそうなった

本質的な理由を

分かってはいなかった。



あの時、自分は

今の自分が本来必要であるはずの


能力


に対する

向上心が

低かったのだと

反省する。





をつかもうとする行動には

わりかしやっきに

なっていたかもしれない。



しかし


能力 は


足りてなかったようだった。



前職で営業は

「会社を代表する役割」だと、

言われていた意味を

もっとよく考えなければならなかった。


その本質をつかめていたならば、

もっと考えて行動できたはずだ。









運 だけではやっていけない ということ


これもまた

真理だった。



成果の80%を占める要素が


運 であると、


まず考えておく。



だからその運を

自分に引き寄せるために

行動する。


そこまでは間違いじゃない

しかし、

やってくる運を

アテにしすぎないこと。




ばかりを頼りにしていては、

そこまでの成果しか

期待できない。


運 をモノにするには

それに見合った能力がいる。



社会人になって苦節六年、

営業経験は計八年、

ようやくその

大切なバランス感覚を

体感しつつある。




ただ年をとっていっているだけでは

ないようで

ちょっと嬉しい29歳。



おわり


2016年11月8日火曜日

運がまわってくるには、ある種の法則がある。

僕は営業だが、

営業の誇らしい実績とは、

それを形成している

80%以上が






であると、

心底思う。


よく、


自分の実力だとか、

自分しか出来ないとか、


えてして

そう思ってしまいがちなところを、

ぐっ…とこらえて


運 だと


思うように心がけている。


神様ありがとう と。


僕の上司は、

このへんをちゃんとわきまえていて、

恵比寿様に心から感謝をしています。


そしてついに、

近年は恵比寿様と

時々会話できるようになったと、

真剣に話されています。



それが嘘とは思えないほど、

その方はツいてます。




成果は運。


その時ちょうど自分が、

そこにいたんだ と、


それくらいに思っていた方が、

自分の力を周囲に誇示せず

謙虚にいられる


ような気がする。






但し、運がまわってくるには、ある種の法則がある。



これは真理だと思う。


このことを、

僕は

大学時代

光ファイバーの営業をしていて

身を以て知った。




その時もノルマがあった。

そのノルマを僕はいっかいも落としたことが無かった。


それは

ひとえに

運 の

力だったと思う。




その時の営業では、

集客を担当する呼び込み係と、

クロージングを担当する受付係

2つに分かれていて、



呼び込み係の仕事は、

ビラを巻いて

関心を持ったお客様を

受付ブースに案内すること だったので、

ベテランになればなるほど

敬遠したがちな仕事だった。


そりゃあ、

受付ブースにいれば

どんどんチャンスはまわってくるから、

自分のノルマを達成するまでは

そこに張り付いた方がお得である。

自分が達成して、

その次に、

呼び込み係とチェンジする。

こんな思考になりがちだった。



しかし僕は、

その時は責任者的な役割でもあったから、

まず新人や社歴の短い人に

先にノルマを達成させたい と、

思っていた。



だからまず、

自分が率先して呼び込みをやる。

店頭では手を抜かず

デカイ声を出し、

入念にビラを配る。


率先して、

若い人たちに案件を対応させる。

そこでこぼれた案件に、

もういっかい偶然をよそおって、

アプローチをかける。



そんなことをやっていたら、

僕自身も、

なんかいつもノルマを達成していたのである。


僕が受付係を担当するタイミングで、

必ずいいお客さんが

やってくる、

そんな感じだった。


そして僕だけじゃない、

周りを観察すれば、

やっぱりそんな人こそが、

僕と同じように、

成果を上げているのだ。

受付係の時間は

比較的短いにも

関わらず。



これは実力なんて

そんなおこがましいもんじゃないぞと。

だって、

光ファイバーの営業なんて、

要領つかめば、

誰がやっても別に大差はないからねマジで。



だから、

実績を形成するのは

本質的に





である

と思う一方で、





がまわってくるには、

ある種の法則があると、


齢21歳にして、


思い至ったわけである。





運がまわってくるのは、多分こんな人



・皆が嫌がりがちだが大事な仕事を率先してやれる人

・大事な仕事で手を抜かない人

・他人の成功を願って行動する人





おお、



啓発本みたいだ!




おわり



2016年11月7日月曜日

共感は大切だが、ムリヤリ共感しようとする必要はないと決めた。

前日の投稿で、

調和の大切さを

説いたような気がするのだが、


そんなことを書きながら、

調和を重んじるあまり、

無理やりと言っていいようなレヴェルで

必要以上に

相手に共感すること、

同調することは


あまりいいことではないような気がしてきた。



営業職としての

僕がそのタイプだ。

かつ、

仕事とプライベートの境も曖昧になってきて、

プライベートでもそんな感じに

なってしまっていた

ような気がする。


そしてそれは

あまりセンスがない行為だった

とも思ってしまった。





自分に嘘をついてまで共感する行為にたいして発展性はナイ。



もちろん、

何に対しても否定的に

なろうっていうことじゃない。

それはむしろ嫌だ。

噛みつくことが

カッコイイ なんて

思ってるタイプにはなりたくない。

共感できることには

がっつり共感の意を表したい。


ただ、

自分を偽ってまで

常に「共感しよう同調しよう」って

スタンスで居続けるのは、

なんかイマイチだったなと、

実質思うわけです。



えてして、

営業なんかやってると

相手に同調する

くせがつく。


初対面の商談なんかでは、

特にそれが有効なスタンスであり、

効果的なのは間違いない。

しょっぱなから

「僕はそうは思いませんけど」

なんて、

言っていいとは思いませんけど。



ただ、

付き合いが長くなって、

飲みなんかにも行くようになって、

そんな場でも


ですよね~

さすがっす

わかります~


って、

ほぼ反射的に

言っていた自分は

そろそろ脱却したくなってきた。


必要以上に


相手を持ち上げる?

おとなしく言うことを聞く?

自分の意を伏せて?

その関係性に発展性はあるのか…と。











「僕はそうは思いませんけど」 ――そう言った方が盛り上がる場と関係性。




いやいや、

そンな感じでこれまでやってきて、

その結果今の営業が上手く行ってないワケじゃないし、

もしかしたらそのスタンスを

今後も継続した方がいいのかもしれない。


波風を起こさず

相手に気持ち良く語って頂く、

そう思ってやってきたことは、

フツウに良いことだったはずだ。



でも

例えば、

ある仲の良いお客さんが、

最近僕が嫁との結婚式に対して、

かなり情熱的かつ積極的に取り組んでた時期、

そのことについて苦言を呈してきたことがあって、

ワリと冗談抜きな感じでもっと働けと。

自分は成人式にも行ってないし、

結婚式も行っていないぞ、と。






(僕)

ですよね~

僕は無駄に時間とお金を使いすぎですよね~

もう少し簡素にやってもいいですよね。

見習います!あざっす!!



って感じな事を言いましたけど、


コレ正解だった?

営業的には、模範解答だった??



…全然そんな感じがしないんですよね。

そして実際のところ

僕は微塵にも

心底全く共感してないんですよね、

その頂いた苦言に対して。


結婚式に割く時間とお金は全く無駄だとは思わないし、

成人式とかイベント毎もそうだし、

簡素 どころか

むしろ根本的には派手好きだし、


そんな俺が

反射的に何を同調なんかしてしまっているんだろうと。


今思い返しても

違和感しかない。


そして、

そんな状態が

常態化してしまっている自分は、

あんまり面白味のない人間だと

マジで昨日思いました。




ムリヤリ共感よりも、

素直に

「僕はそうは思いませんけど」

って、

それぶっこんでくる人物の方が、

断然面白くない??


そっちの方が、

多少心証を害したとしても、

その場は盛り上がるし、

印象にも残るような気がする。

関係性にも適切な発展が望めると思う。



実質、

そのお客さんは、

共感しすぎて同調しまくっているうちに

要求やタスクや期待が

仕事の範疇をかなり超えてきてしまって、

そんなことまで出来るワケもなく、

というかやるつもりもなく(心がノッてない)、

なぁなぁといい顔しながら躱していたら、

今では向こうから見限られてしまった

感じである。


共感・同調ばかりしていても、

適切に関係性は発展しなかったということだ。

すっかりバランスを欠いてしまった

調和

だった。(つまり、調和してない)






…だから決めた。


必要以上に、

ムリヤリ共感しようと

する必要はないと。


心に従い、

全く共感できないことには、

「僕はそうは思いませんけど」

って、

ぶっこもう。



静かな湖畔 でも、

時には一石を投じて波紋を起こした方が、

調和することがあるはずだ。



ちょっとこれからは

そんなスタンスで行ってみようかな。



おわり。

2016年11月6日日曜日

センスって何ぞや?センスと天才と凡庸と

センス

センスがいい

とは何ぞや?


センスが悪い

と言われたら、

それはもう痛恨の一撃。


だからこそ誰しもが、

センス良くあろうとするか、

無難にあろうとするのだが、


そもそも

センス って何!?

という疑問があったとです。




ファッションセンスについて



まず思いついたのがファッションセンス。

ここでセンスが悪いと言われてしまえば

例えば多感な29歳メンズからすれば

それは致命傷である。

注:僕が言われたワケではない。



しかし、だからと言って

無難な着こなしをするだけでは

センスがいい

の称号は得られない。



だがしかし、

えてして、

センスを求めてやってみた結果、

自分のセンスでファッションを追求した結果、

「センスが悪い」

という不名誉な称号を

知らぬ間に獲得してしまっている人も

いるのではないだろうか。

注:別にセンスを求めてやったワケでは決してないのだが、僕が新入社員の入社式用に買った鮮やかな緑一色の勝負ネクタイは、大変評判が悪かったそうな。



センス とは

周囲からの脱却が必要であり、

一方で周囲との調和が必要な、

二律背反を孕んだ

大変高度なバランスで形成される

感覚であるということである。



そして、

周囲からの脱却には、

リスクが伴うのだ。





調和 が抜け落てしまった センス



こんなことを考えていて、

ハッとしたのが、


とかく、

人は、

センスを求めだすと、

周囲からの脱却

その一方向ばかりに

目がいってしまうのでは

なかろうか?



しかし、

ファッションセンスにしろ、

笑いのセンスにしろ、

格闘センスにしろ、


相手あっての感覚である。


自分ひとりの感覚で、

求めたセンス、

それはただの

「自己満足」に

なりかねない。


だがしかし、

たまに自分ひとりの感覚で

追求された事象が、

ばちこん周囲にハマっている

レアケースもある。

このことについて

「センスいいよね~」と

言われていることの方が

圧倒的に多いような気がするのである。



けれども

実はこれ

ただの“天才”の所業だったのだと

いうことに気付く。


脱却オンリーの行動で

周囲が評価しついてくる。

それは

“天才”という他ない。


そう、

それが“天才”が“天才”たるゆえんなのだ。







センス は“天才”の専売特許だったのか?




決してそうではないはずだ。



しかし、

その“天才”の結果ばかりが目につくから、

みんな結果(=センス)を求めて、

“天才”の模倣(=脱却)をしようと躍起になる。


端折って言えば、

みんな

“天才”になろうとしているのだ。

そして当然、

“天才”じゃないから、

調和を欠く。

センスが悪く なってしまう

ということだ。



圧倒的な個の力で

しかも本人は無自覚で、

周囲を無理やり調和させることができるからこその

“天才”なのだ。

そして「センスがいい」と称賛を受ける。



このヒラメキによって

僕は決して“天才”ではないと

ハッキリ自覚できた。



であるならば、

“天才”でない“凡庸”は

調和からまず攻めればいいんじゃないかと。

それによりセンスの向上を図るのだと。


…そんなことを考えました。





調和から考えるセンスとは?



人を喜ばせることができること、

満足頂くための行動、

心地よくなってもらえること、


それが、

調和に焦点を当てて導き出される

センスのよさ

ではなかろうか?




これは最近、

あるイベントで、

支払った代償に対する対価について、

その場にいる全員が満足できなかったため、

参加者の間で「センスが悪い、センスが悪い」と

連呼することがちょっとしたブームになったことから、

思い至ったことである。






センスとはまず第一に調和である。

こう考えると、


安直な脱却

=周囲を無視した奇抜さや突飛さや派手さ


これらのことを、

理性でコントロールできるのではなかろうか。





周囲の思いを第一に考慮し、

調和を保ちつつ、

さりげなくささやかな

独自性をブレンド、

それがその場を更に盛り上げる

ポイントとなる。


それが、

調和に重きを置いた“凡庸”なりの

センス



そう僕は結論づけた。




























特にオチはありません。



センスないですか?笑




おわり

2016年11月5日土曜日

嫁 との熱い議論 その①

時折

嫁とは

熱い議論を交わすことがある

先日ブログの

「○○ラーメン」の

話題にも関係することなのだが、
 
この「○○」部分に

ご当地要素が盛り込まれることが多い。


尾道ラーメン しかり

和歌山ラーメン しかり

津山ホルモンうどん しかり

蒜山やきそば しかり


…である。


そこで だ。


議論の焦点になったのは、

「どのへんから“ご当地”~~と謳ってよいのか」 

ということである。





双方の合意事項



地域にねざしているもの こそが、

本当の

“ご当地”なにがし

であるということ。



これについては

双方に異論はない。


ねざしている

ということがミソである。


誰かが思いつきで、

いきなり奇抜なモノを

“ご当地”なにがし

と言い出しても、

地域に定着がなく

また経済効果も少ないものは

“ご当地”なにがし

とは認めない。



では、

次に重要になってくるのが、

何を持って

“地域にねざしている”

とするか

である。







オレのターン:言ったもんがち理論 



ここでオレが引き合いにだしたのが、

「からつバーガー」

である。


唐津市の老舗銘柄であり、

数年前に“ご当地”ブームで話題になり、

今でも唐津市の経済に

少なからず影響を与えていると

思われる。


一見すると、

それはただのハンバーガーなのだが、

(もちろんマクドよりウマい)

その名称の頭に古くから「からつ」を付けることで

ブランド化、

単なるハンバーガー以上の

付加価値が認められている

“ご当地”なにがし化に成功している。

 だから「言ったもん勝ち」である。


しかしこれに対して

我が嫁は

「異議アリ!」

なのである。





嫁のターン:ご当地の特別感が大切理論




事実はともかくとして、

嫁の考えでは

「からつバーガー」は

“ご当地”なにがし として

認められない。



なぜなら、

“ご当地”なにがし 足るもの

“ご当地”の

名産品なり、

風土なり、

特有の食文化なり が

要素として

含まれているべき であり、



「からつバーガー」は

えっ!?ただの美味しいハンバーガーじゃん!


…ということなのだ。


更に言えば

佐世保バーガーと何が違うと??


…ということなのだ。


これには唐津市観光協会も絶句である。

巻き添えで、佐世保市観光協会も白目である。



一理ある。


例えば和歌山のご当地グルメには紀州梅が、

熊本のご当地グルメには馬肉が、

沖縄のご当地グルメにはミミガーが、

含まれていてしかるべき

ということだ。


即ち「ご当地の特別感が大切」なのである。




議論はつきないが…


これはおのおのの主観であるから、

特に決着をつけるべき事柄でもない。

正解も、たぶんない。


そんな感じの以心伝心にて、

ゆる~く、

僕と嫁の議論は終了した。



僕は昔から

結果つじつまがあえば

過程はあまり気にしない、

極端な話、

虚像 もアリと

考えるタイプなので、

マーケティング的に成功している

「からつバーガー」を

“ご当地”なにがし を

モデルケースと考えた。


一方嫁は、

物事の本質や核心を

的確に

捉えに行くタイプである。



そういった

二人の個性を

しっかりと出し合った

充実した

ディベートでしたね


まる





2016年11月4日金曜日

せやな ほんまに あきまへん を使いこなすネイティブ並みの関西弁

関西にきて

はや9年が経過した

ぐちやまです。


佐賀の唐津という田舎から

大学進学を機に上京(京都へ)、


そして社会人になる時は

東京に配属されて

バリバリ働きたい気持ちと、

福岡に配属されて

地元の友人たちと遊びたい気持ちが、

半々でせめぎ合う中、

大阪に配属されました。


そしてそのまま、

転職なんかもしましたが、

なんだかんだで

大阪勤務6年目に突入。


トータル関西9年目。

9年もいれば

そりゃあ

関西弁にもなるなる。






特に関西弁を使いこなすようになったのはほんの近年


大学の時、

2年間は友達一人くらいしかいなかったので、

あまり関西弁には影響されず。

3年生になってから、

ゼミに所属するようになり、

人と触れ合い話す機会が増えたことと、

新たに始めたバイトで、

親友とも呼ぶべき関西人の友を得たため、

僕の中で関西弁修得の芽がではじめた。


そして社会人になる。

ここでは、

ひたすらに忙殺される日々を過ごしたため、

また、担当エリアが鳥取・岡山だったため

あまり関西弁には影響されず。


ただこの間、

友人と言ってよいのか、

仲間と言ってよいのか、

今となってはなんだかよくわからない

第三の環境に所属していて、

イマイチそこにのりきれなかった僕は

なんだか逆にうまくしゃべれなくなった。



僕が、

ネイティブ関西弁スピーカーとして

めまぐるしい成長を遂げたのは、

ほんの近年である。


そう、

転職先の上司が、

コッテコテの関西弁で

営業する人だったためだ。





他言語を習得するために必要なのは、やはり「郷に入っては郷に従え」「習うより慣れろ」



関西の人を相手に営業するには、

それなりにテンポ感が必要である。

これは大学時代、

友人が増えてきた3回生の頃にも、

同じことを考えていた。

生粋の九州男児である僕とは

そもそもトークのテンポが異なるのだ。


だから僕は

例え地元の友人たちに「エセ関西弁w」と揶揄されようと、

関西における円滑なコミュニケーションのために、

関西弁の習得に躍起になった。


そして近年、

遂に関西弁の師匠とも言うべき、

存在を得たのである。



今では、

友人や同僚と話すときには

とにかく「せやな~」を連呼する。

同調して共感しているのだ。

嫁と話すときも

「せやな!」と言って

笑われる。


驚いた時は

「ほんまに!?」

である。

活用形の「ほんまやわ…」さえ使いこなす。

「ほんまやで!」もとっさに出る出る。


そして

極めつけは

営業でお客様が無理難題を吹っかけてきた時などに使う

「あきまへん!」 


である。

そう、

関西弁の敬語にも遂に順応したのだ。




こうしてぐちやまは成長していくのだ。



それどころか、


「あきまへん!」 って、

生粋の関西人でも、

滅多に使わないんじゃね!?



こうして僕は、ネイティブを超えたのだ。



英語とか習得しようとされている方

参考にしてください。



おわり

2016年11月3日木曜日

大阪のラーメン屋はレベルが高いと声を大にして主張したい

ラーメン“屋”


というのがミソである。


「大阪のラーメンて何ラーメン?」

良く聞かれるが、

…そういう話ではない。


ある種、僕らは

「○○ラーメンが美味しい」とか、

この「○○」という

一括りにジャンル化されて、

一律にブランド化された

「○○」に弱い。



そういう意味では、

大阪に「○○ラーメン」というのは

存在しない。

だから一見するとパッとしない。


しかし だ。


ここでラーメン“屋”という

個々のポテンシャルに注目してみる。


そこでは、

とんこつ も

しょうゆ も

みそ も


何も関係がない。


そのラーメン“屋”が

どれだけ突出しているのか

それのみを純粋に考える。


その時、

圧倒的に、

大阪のラーメン屋は

レベルが高い。





「○○ラーメンが美味しい」 というのは妄言



人は

とかく

カテゴライズ したがる生き物なのだ。

たぶん。

ファッションも

B系とか

モード系とか

ありますやん。



で、

僕と嫁は、

旅行とグルメが好きだから、

たくさんの「○○ラーメン」を食べてきました。



まずは出身地・九州で

有名な「博多とんこつラーメン」

子供の頃から

色んなお店に行きました。

近年では、

一蘭 さんが全国的に躍進しておりますね。

もしくは、

博多の有名どころで言えば

大砲ラーメン とか。



あるいは、広島の「尾道ラーメン」

リアルガチで、

有料道路を降りた瞬間に

このラーメン屋に行くための渋滞につかまるほどの

人気店にも行きました。



 
逆に、「和歌山ラーメン」

好みは人それぞれですが、

我々の好みではなかった。

駐車場が広かった!



いちばん最近の体験では、

「札幌味噌ラーメン」??

No.1と称されている

お店に行きました。

有名人の色紙がいっぱいありました。




 …これらの実体験を踏まえて、



我々夫婦が口を揃えて




「大阪のラーメン屋の方がウマい」


と、



言ったのです。





カテゴライズされない、お店の“練度”



カテゴライズすることは

面白いし、

マーケティング的にも

美味しいんでしょうが、


それに乗っかるよりも、


人口の多い都会で

切磋琢磨の競争をして

磨かれた

“練度”

こそが、

お店の、

そして味の


“本質”

だということに


気づいたのです。



だから僕らが旅先で食べたラーメン屋たちは


全く持って、


ぐちやまが特に愛してやまない

大阪市内の行列のできる有名店
 

・さんく

・座銀

・カドヤ食堂

・人類みな麺類



にはかなわない。



次点で愛している

その他の大阪ラーメン屋さんにさえも

かなわない。




だから

「○○ラーメンが美味しい」というのは

妄言なのである。


そして

こういうときにこそ

ぐちやまが敬愛している

ニーチェ氏の

あの名言を使用するのである。





「神は死んだ」


―――――と。




※注:味の評価には個人差があり、今回の記事は筆者の全くの主観でございます。


おわり


2016年11月2日水曜日

たった半分のわか玉スープで終わる世界

先日嫁と

焼肉食べ放題に行った。

焼肉食べ放題に行くのは

かなり久しぶりである。

ココロ躍る。




大阪の焼肉食べ放題で最高なのは『あぶりや』さん



これは間違いない。

まぁまぁいい値段はするが、



接客良し

品質良し

品数良し  で、


トータルコスパも良し

である。

なんてったって、

和牛が嬉しい。





食べ放題に行けば元を取ろうとしてたいがい食べ過ぎる



これも鉄則だ。

「食べ放題」だからと

必要以上に詰め込もうとするのが、

世の常なのである。


むしろ食べ過ぎなのがちょうどいい。

苦しくて

身体がくの字になるくらいが

ちょうどいい。

そのポリシーのもと

僕と嫁は順調に食べ進めた。






 『あぶりや』のススメ



ここで、

僕らが熱くオススメする

『あぶりや』さんの

オススメメニューを紹介しよう。




まずは焼きすき


その名の通り、

すきやき で利用するような

薄くスライスされた牛肉を、

さっとあぶって

とき玉子にぶっこんで食べる。

カルビ か ロース か

これはお好みで。

ジューシーな薄切りの和牛といったら、

口の中でとろけるかのごとく

旨味が広がっていく。

薄い といっても、

広さ もあるから、

食べごたえもある。


更に

とき玉子だけでは薄味に感じるアナタは、

チャンジャと韓国のりをぶっこんで

味を強化して食べるのも

オススメだ。




次に、新メニューとして

新たに登場していた

ハラミステーキ

初めて食べたが、

ばっちり僕らの心を奪っていった。

油っぽさはほどほどに、

しかし柔らかくてジューシー。

赤身ほどの肉々しさではなく、

カルビほどのギットリさではない、

その絶妙な塩梅のウマサが

ハラミの真骨頂であり、

なかなかどうして

食べ放題メニューにしては

それが堪能できるのではないだろうか。




そして忘れてならないのが、

『あぶりや』のカルビ

やっぱりこれが

焼肉の鉄板。

先ほどギットリとは言ったが、

確かに油たっぷりではあるが、

全然嫌味ってワケではない。

和牛の油は、

甘くて美味しい。

4,000円以下の食べ放題で

ここまでのカルビ肉を提供できるのは

『あぶりや』さん

くらいじゃないだろうか。





オススメはこれくらいにして、

オススメ以外のメニューも

とにかく食べる食べる。


塩タン、トントロ、豚カルビ、ウィンナー、カイノミ、コウネ、焼きしゃぶ、上ロース…




そんなこんなで、

限界まで後一歩というところまで来ました。





限界からの後一歩を読み違えると、大変なことになる




本当に

キレイに

胃の中に

お肉が折り重なって

ぎちぎちに

詰まっていたんだと思う。


ラストに、

ユッケジャンクッパくらい

食べて

ほどよく くの字になって

デザート食べて

終了と、

そんなことを考えていた終盤。


嫁が残していた

たった半分のわか玉スープを

嫁がお手洗いに行っている間に

食べたのちの

悲劇 である。


ラストでユッケジャンクッパとか

余裕ぶっこいていた男が、

たった半分のわか玉スープを食べて


悶絶 する。





その後のデザートも

食べきれないくらい


 悶絶 する。



こんなことは

生まれて初めてだった。


これが

ユッケジャンクッパだったならば

納得も行く。


しかし、

たった半分のわか玉スープが

僕の息の根を止めようとしていた。




臨界点というのは

あまりに近づきすぎると

どうやら逆に

見えなく(感じなく)なってしまうものらしい。



たった半分のわか玉スープが





僕に大きな示唆を与えてくれた。



くの字どころか、

フの字になって、

家に帰りました。


おわり




2016年11月1日火曜日

おかんヌの言うことはぜったい

~関連する前回ブログ あらすじ~


脱・みすぼらしい男を目指すぐちやま。

29歳のビジネスパーソンたるもの、

何より、戦闘服と表現されるスーツについては

特に意識高くいく必要性を感じた私は、

人生初のオーダーメイドにトライ。


「だいたいオーダーにかかる時間は1時間半」

そう聞いていたのだが、

いちばん最初の工程である

数百とある生地の中から

どれで行くか選択するところから、

頭を抱えてしまう。



しかし、「せっかくオーダーするのだから」と、

一切手を抜かず妥協しない私。

…そして出会った、

ブルーグレーという色の存在。



もうほとんどブルーグレーの生地で決定しかけたその時、

兄貴の結婚式で着用予定があるため、

念のためモーニングとかじゃなくていいよねってことを、

おかんに確認した。

そこで、我がおかんの飽くなき

チャコールグレーへの執着を目の当たりにする。


チャコールグレー絶対説…

自分の好みか、

おかんヌの好みか、

究極の選択を迫られる私。


ジャスト1時間半、

私はその日のオーダーを断念したのである…








やっぱりおかんヌの言うことはぜったい だよ




断腸の思いでブルーグレーを断念した。



だって、

兄貴の結婚式で、

おかんヌに

苦言を呈されている姿が目に浮かぶんだもん。




「何ねその色は!」

「よそわしか~」

「似合わ~ん」



果ては、

兄貴の結婚式は別に何着てきてもいいよって、

行ってたにもかかわらず当日、

「親族でそやんかスーツとかありえ~ん」

とか

平気で言いそうである。






しかしここで、

おかんヌ熱望のチャコールグレーを

しっかり選んでいれば、

母の機嫌がうなぎ上りによくなること

間違いなし。


「私がもう1着スーツ買ってあげる❤」
※もち、チャコールグレー


と言い出しそうなくらいだ。


それくらいウチの母は気分屋なので、

兄貴の祝いの席で

主役でも何でもない僕のスーツのために、

 

母を不機嫌にするわけにもいかんだろう。





それよりも、

「母の言うことは絶対ですとも!」

くらい、

服従した姿を見せてやろう。

もう反抗期なんて

微塵にもないことを伝えよう。

それが最高の親孝行だ。





あなたも何か選択に迷った時は、

こんな風に考えればいいサ。


「おかんヌの言うことは ぜったい」



たとえ意見が対立しても


「おかんヌの言うことは ぜったい」



それで

君の世界は救われる。








というわけで、人生初のオーダースーツは、何の変哲もないチャコールグレーのスーツです。



ええ。

柄とかも、

いっさいありませんよ。



ていうか、

あれだけブルーグレーに魅了されていた(更にチェック柄でもあった)のに、

上記のような理由で

あっさりそれを何の変哲もないチャコールグレーに変更したもんだから、

その後店員さんの提案も

当たり障りのない

どんな場所でも着ていけそうな

保守的なスーツづくりへと

すっかりシフトしてしまいました。











そして仕上がった…








世界に一つだけの…










オレ専用でオンリーワンの…
















何の変哲もないオーダーメイドスーツ。






完成が待ち遠しいです(白目)




おわり